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時の話題〜憲法の視点から〜
 
1.アメリカ大統領選挙をめぐって (2021.3.21.up)



 1.アメリカ大統領選挙をめぐって (2021.3.14.記)


 2020年のアメリカ大統領選挙は、間違いなく後世に語り継がれる異例ずくめの歴史的選挙であった。新型コロナウイルスが猛威を振るう中、多くの有権者が郵便投票を利用したため、激戦州の開票作業を経て、選挙実施から10日後の11月13日にようやく結果が判明した。バイデンが8128票(選挙人306名)、トランプが7422万票(選挙人232名)であった。

 敗北を認めないトランプは「選挙に不正があった」と主張し、直ちに数々の訴訟を提起して法廷闘争へ持ち込んだ。現在の合衆国最高裁の9名の構成は、保守派裁判官6名、リベラル派裁判官3名であるため、トランプ陣営は2000年のブッシュ対ゴアと時と同様に、最終的に最高裁判決によって当選を果たすことを期待していた。ところが、期待も空しく、訴えはすべて最高裁に退けられ、12月11日には法廷闘争の敗北が事実上確定する。「選挙の不正」を基礎づける根拠が何もなく、訴訟それ自体が真剣な法的議論に耐えうるものではなかったため、いかに保守派が多数を占める最高裁であっても、初めから成功の見込みはなかったのである。

 12月14日の選挙人投票によりバイデンが正式に勝利した後、トランプは政治闘争へ踵を返す。2021年1月6日に選挙結果を確認する手続が上下両院の合同会議で予定されていたところ、これを阻止する動きに出たのである。この合同会議は通常の大統領選挙では注目されない事務的な議会手続にすぎないが、バイデン当選を阻止する最後の機会として、1月1日にトランプはツイッターで6日午前11時から首都ワシントンで大規模な抗議集会を開催することを告知し、共和党議員は合同会議を主催するペンス副大統領に対して投票結果を拒否することを求めて訴訟提起し(1月7日に最高裁が全員一致で訴えを退けている)、2日には150名以上の共和党議員が合同議会で「異議」を申し立てる意向を表明した。6日当日、トランプは全米から終結した支持者の前で選挙不正の訴えを1時間以上続け、「ここにいる全員が連邦議会議事堂へ向かい、平和的に愛国的に、あなた方の声を聴かせるために行進することを私は知っている」と呼びかけ、あの衝撃的な暴徒による議会襲撃事件が引き起こされた。その後、トランプは2度目の弾劾裁判にかけられるも、上院の共和党議員50名のうち7名だけが有罪に賛成し、有罪投票が57名にとどまったため、有罪評決に必要な上院100議席の3分の2(67名)の投票に届かず、トランプに無罪評決が下された。

 選挙による政治権力の平和的交代が制度として保障されることは、民主主義の根幹である。したがって、選挙結果を受け入れず、実力によってこれを覆そうとした議会襲撃事件は、単なる暴徒による混乱というものではなく、合衆国の民主主義体制を覆そうとしたクーデター未遂というべき恐るべき事件とみなければならない。南北戦争のような例外はあるものの、アメリカでは1789年の発足以来200年を超えて選挙による平和的な政権交代が成し遂げられてきた。大統領選挙とそれに続く大統領就任式は、単なるセレモニーではなく、現存する最古の民主主義国家としての自覚と誇りを抱くアメリカ人にとって、アメリカをアメリカたらしめる伝統そのものなのである。それが、議会襲撃事件とトランプが就任式を欠席したことによって、今回大きく傷つけられた。共和党支持者の7割以上が今回の選挙が不正であったと信じている。このことは、民主政治の正統性に関わる極めて憂慮すべき事態である。

 敗北したとはいえ、トランプに7442万もの票が投じられた事実は重い。2月15日から20日に実施されたUSAトゥデイとサフォーク大学の世論調査によれば、トランプに投票した有権者の46%が、トランプが新党を設立すれば支持すると回答しており、トランプがホワイトハウスを去った現在でもトランプの影響力は根強く生きている。トランプは3月1日、フロリダ州での保守政治活動会議で演説し、大統領選挙に不正があったという従来の主張に続けて、新党設立の予定がないことを明言し、次回の大統領選挙に共和党から立候補することを示唆した。弾劾裁判での共和党議員の投票行動からも明らかなように、共和党自身がトランプ支持者の動向を無視することができない状態にあり、共和党がトランプ党に化したかの如き様相を呈している。もっとも、トランプは2月22日に合衆国最高裁から、8年分の納税記録など財務記録をニューヨーク州のマンハッタン地区検察に提出することを命じられている。これによってポルノ女優との不倫関係の口止め料疑惑やトランプ一族企業の粉飾決算疑惑をめぐる捜査が本格化し、トランプが起訴され、有罪判決が出る事態にまで至れば、また事態は大きく変わるであろう。

 バイデンは1月20日の就任演説で、結束することを訴え、民主主義を守り、すべてのアメリカ国民のための大統領になることを誓った。しかし、この4年間で悪化させられたアメリカの分断は深く、「トランプ的なるもの」を払拭することは、反トランプの一致点のみで結集したバイデン民主党にとって容易なことではない。分断を根本的に修復する鍵が、新自由主義的政策の修正にあることは明らかであるが、果たしてそれをアメリカが成し得るであろうか。

 最後に、バイデン政権との関係で日本が警戒すべきことは、バイデン政権の掲げる「同盟重視」と対中強行姿勢であろう。バイデン大統領が昨年11月12日の菅首相との電話会談で、「尖閣諸島は日米安保の適用を受ける」と発言して菅政権を喜ばせたその翌月7日に、『第5次アーミテージ・ナイ報告書』が公表されている。『報告書』は、菅政権が「安全保障上の最大の課題」である中国との「競争的共存」に向け、日米同盟を強化していくべきだと訴え、米英とカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの英語圏5カ国による機密情報共有の枠組み「ファイブアイズ」に、日本を加えた「シックスアイズ」にする方向で日米が真剣に努力し、同盟協力を深化させることを提唱している。さらに、日米の防衛協力については「相互運用」から「相互依存」のレベルにまで高め、ミサイル防衛については2カ国間での過剰な出費や重複を避けるべく調整を進めるべきであるとして、さらなる日米間の軍事的融合を要求している。

 2000年から発表されている『アーミテージ・ナイ報告書』は、集団的自衛権の行使容認、秘密保護法制定など、そこで求められた内容が発表後数年以内に日本国内で実現されており、日本の外交・安保の「青写真」とも評されている。日本政府とバイデン政権との今後の関係につき、引き続き注視しなければならない。

                   坂田隆介
               (立命館大学法科大学院准教授)







時事解説 INDEX

1 異常な「改憲論ブーム」と立憲主義
(2004.3.14.)

2 イラクでの日本人人質事件から見えたこと(2004.5.16.)


1 異常な「改憲論ブーム」と立憲主義

 民主党の改憲論議を報じた2月5日の『毎日新聞』は、「憲法改正問題での民主党の出遅れ感は否めない」とコメントしています。ここからも伺えるように、改憲を当然の前提として、そのスピードを競うような風潮が生じてきています。私たちはまず、このことを深刻に受けとめる必要があるでしょう。

 今年に入り、各党有力者の改憲発言が目立ちます。民主党は7月の参議院選までに憲法案の中間報告を出すとしていますが、その民主党菅直人代表は、1月13日の党大会で「国民が実質的な主権者として行動できる憲法が必要。国民投票や住民投票を検討し、分権国家とする」と発言しています。以来、改憲を市民革命になぞらえ「脱官僚・国民主権」をキーワードに、一院制への国会改編や憲法裁判所新設など矢継ぎ早に改憲案を打ち出しています。とりわけ、現在の二院制では「国民の意見の反映が遅れる」(1月8日)との認識で一院制を提案していることは、民主党がより小選挙区を重視した選挙制度への変更を指向していることと相俟って、スピードを強調する特殊な民主主義観に立脚するものといえ、別途本格的な検討が必要でしょう。このような菅代表の主張に併せる形で、小泉純一郎首相も1月20日、自民党の憲法調査会会長に一院制や首相公選制の導入も検討するよう指示しています。周知の通り、2000年1月に衆参両議院に憲法調査会が設置され、議論の質はともあれ、「調査」がなされています。その衆議院の憲法調査会は、かつて首相公選制を採っていたイスラエルに調査団を派遣し、イスラエルでの公選制の失敗を認めています。団長を務めた中山太郎衆議院憲法調査会会長は、2001年10月11日に「イスラエルでは、元来政権安定のために導入したはずの首相公選制によって逆に少数乱立を許すことになってしまい、そのねらいはまったく外れてしまった」と報告しています。もしこのような憲法調査会の議論を踏まえずに、小泉首相が首相公選論を再び主張し出したのであれば、憲法調査会の「調査」とは一体何なのかという根本的な問題にぶち当たるはずです。いずれにしろ、一院制や首相公選制をめぐる小泉首相の改憲発言は、真剣味のあるものではなく、「とにかく改憲ありき」の議論といえるでしょう。「本音」は、「自衛隊を海外に出すための9条改憲」という別のところにあることは明らかです。その証拠に、たとえば首相は2月10日の衆議院予算委員会で、歴代政府が自衛隊の海外派遣を憲法解釈で説明してきたことについて、「国民の間に憲法の条文によって解釈が違憲、合憲と二つに分かれるのではなくて、すっきりとした形で改正することによって、違憲論、合憲論の見方が分かれる状況はなくしていった方がいい」と強調しているのです。また、山崎拓氏も2月18日の自民党憲法魂査会で、「集団的自衛権の行使を憲法上明確にするとともに、自衛隊が国際貢献できることも明記すべきだ」と9条改憲を主張しています。

 他党についても触れておきましょう。環境権やプライバシー権などを憲法に追加する「加憲」を打ち出している公明党は、2月4日に同党国会内の憲法調査会で、知る権利の明記、憲法裁判所の新設、首相公選制の導入を加憲の対象に加えるとしており、今後「9条加憲」の扱いが争点となるようです。共産党と社民党は護憲を掲げていますが、社民党は国会議員による憲法問題の勉強会を設置しました。さらに、2001年に超党派の国会議員で結成された「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」(自民、民主、公明などから173人が参加)は、2月18日に総会を開き、中曽根康弘元首相や鳩山由紀夫民主党前代表、安倍晋三自民党幹事長らを招き、政界再編をも視野に改憲論を加速させる動きを見せています。

 さて、日本国憲法99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定しています。「国民の」ではなく、「公務員の」憲法尊重擁護義務というこの規定は、立憲主義という考え方を反映したものといえます。歴史上、近代憲法は、西洋での近代市民革命において、絶対君主を打倒し、近代国家を建設するにあたってつくられました。そこでは、憲法という最高法でもって国家機関に権力を授けるとともに、その憲法で国家権力を拘束することにより国民の権利を保障しようとしたのです。憲法が、国民の権利保障の規定を中心にしているのはそのためです。この憲法でもって国家権力を拘束するという考え方が立憲主義というもので、法的な議論の大原則といえるでしょう。この原則からすると、首相は憲法によって拘束されるまさにその対象であるわけです。その首相が自らを拘束する憲法を改めたいというのは、立憲主義の否定以外の何物でもなく、ともすると首相は自らの正当化根拠をも否定することになるでしょう。もっとも、日本国憲法96条に「改正」の規定があるように、国民の間で改憲が論じられること自体は、(もっともその議論の中身にもよりますが)悪いことではありません。問題は、そのような改憲論を首相なり国会議員が「煽る」ような形で主導することです。改憲論は、あくまでも国民の内在的・自発的な声として、しかも現憲法の諸規定を完全実施したがそれでも限界があるという文脈で、はじめて語られるべきでしょう。さもなければ、仮に新たな憲法がつくられたとしても、それを支えるだけの国民の力が伴わないからです。

 1946年に公布された日本国憲法は、政権政党の改憲策動にもかかわらず、誕生してもうじき60年になろうとしています。これは「戦争を否定し、自由で民主的な社会をつくりたい」と願い、ときに声をあげ闘う日本国民の力によって支えられてきたといえるでしょう。日本国憲法には、そのような私たちの先輩や私たち自身の思いや運動が凝縮しているのです。首相らによる安直な改憲論によってこの日本国憲法の力を捨て去るのではなく、この力を活かした政治こそが求められているのではないでしょうか。いずれにしろ、今日の「改憲論ブーム」は、立憲主義の大原則に反するばかりか、平和や自由を求める日本国民の力を捨て去ろうとするものであり、到底容認することはできません。

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2 イラクでの日本人人質事件から見えたこと

1) 4月8日にイラクでおきた3人の日本人人質事件は、8日間で解放という形で無事解決しました。しかし、この「非常事態」ともいえる事件や、それへの政府の対応、さらにはこの事件をめぐって語られた言説から、さまざまなことが見えてきます。とりわけ、1990年代以降の、「国際貢献」や「有事法制」必要論への疑問に、「事実」でもって証明したことがあります。以下、二点にしぼって述べることにします。

2) 第一は、イラクでの子どもの支援など、真の人道支援を行っていた民間人が人質となり、 犯行グループが解放の条件として、日本政府に「自衛隊の撤退」を要求したという事実です。ここからは、「日本政府が占領軍に協力する形で自衛隊を派遣したことが、本来の人道支援を行ってきた民間の人々を危険にさらす結果に繋がった」(JVC(日本国際ボランティアセンター)の声明、4月9日)と言えます。
  自衛隊「派遣」が民間の「真の」人道支援の妨害となったと言っても過言ではないでしょう。人道支援ということでは、自衛隊よりも国際NGOの方が優れていることが、熊岡路矢氏(JVC代表)の1月29日の国会陳述等で明らかになっています。そこで熊岡氏は、人道支援の必須項目である給水を例にとり、「自衛隊が約404億円の費用をかけて1日16,000人に給水を行うのに対して、国際NGOは約1億 円の費用で1日10万人に行う」と述べています。そもそも、現地の人々の視点に立つことが必要な人道支援に、武装した「軍」が不向きであることは言うまでもないでしょう。また、政府は自衛隊「派遣」を人道支援だと言いつづけてきましたが、それは日本国内のみで通用する議論であって、肝心の現地では、必ずしもそう受けとめられていないことも明らかになりました。

3)  ところで事件の後、民間の人道支援活動家に対して、「自己責任」論が噴出しています。この議論の前提には、「人道支援や『国際貢献』は、民間ではなく自衛隊が行うものだ」 という想定があるようですが、自衛隊が人道支援に不向きであるのは、前述の通りです。アメリカのパウエル国務長官は、「(よりよい目的のためにみずからの身を危険にさらした)3人を誇りに思うべきだ」(4月15日 TBSのインタビュー)と語りました。日本政府には、本来このような非軍事の人道支援をサポートすることが求められているはずです。しかし「自己責任」論は、「民間人は軽率な行動を慎むべき」「命を落としても政府に責任はない」という正反対のメッセージを発しており、自衛隊主導の「国際貢献」ムードを強めるとともに、民間の人道支援にマイナスの印象を与えています。
  そして何よりも、自衛隊「派遣」という本質的な問題から人々の注意を逸らす、一種の情報操作がなされているといえるでしょう。

4)  第二は、人質解放の条件である自衛隊の撤退という選択肢を政府は早々に取り除いた、 という事実です。その理由は、「テロに屈しない」という国家の意思を示すことだといい ます。このとき政府高官は、「人質になった3人は死ぬかもしれないが、政府は引けない。 つらいけどしょうがないんだ」(4月17日『北海道新聞』)と言ったそうです。このことは、国家というものが決して一人ひとりの国民を守るものでないことを如実に示しています。これが日本政府の体質であるならば、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に資する」ためという有事法制も、結局は国のために国民に協力を強いるものにほかなりません。しかも、イラク戦争での政府の一連のアメリカ支持姿勢を考えると、自衛隊「派遣」態勢にしろ、有事法制にしろ、アメリカの戦略に基づいて進められていることは明白です。
  ただその背景に、アメリカの世界支配秩序に日本が軍事的にも関与することが、世界規模で活動する日本の大企業にとっての「得策」であるとの判断が、日本の政府・財界にあることも見落としてはなりません。

5) これとかかわって、「テロに屈してはならない」という主張についてです。この主張自体は多くの支持を得ているようですが、ノーム・チョムスキーによれば、誰も反対しようとしないスローガンを掲げることは、典型的な情報操作だといいます(『メディア・コントロール』(集英社新書))。
  冷静に考えてみると、テロに屈しないことと「自衛隊を撤退させるべきでない」という主張とはイコールではありません。そもそも自衛隊の「派遣」には反対論も多く、世論は二分し、日本国民の「総意」とは決して言えないものでした。また、自衛隊のイラクでの活動を法的に正当化するイラク特措法は、そもそも違憲の疑いの強いものですが、それでも「非戦闘地域」という歯止めをかけています。日本が法治国家であるかぎり、「テロに屈してはならない」という政策論は、あくまでも法的な縛りの枠内でなされなければならず、この政策論が「イラクが『非戦闘地域』か否か」という議論を左右することは到底許されません。

6)  政府は、イラクでの自衛隊の「駐留」に固執しています。しかし、イラクでいま一体何が求められているのか、そして平和憲法をもちイラクの人々からも信頼されてきた日本だからこそ何ができるのか、原点に立ち戻って考えるべきときでしょう。自衛隊「派遣」という既成事実やアメリカ追従姿勢のために、日本が大切にしてきたものを失うわけにはいきません。

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